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きつねの音楽話

老人性古本症候群を患った若者の徘徊ブログ

大事なものをなくしたときはこんな風に考えるといいよ

きつねの話 きつねの話-きつねの戯言

こんにちは、きつねです。

 

前回の記事は読んでいただけましたでしょうか。

fuchssama.hatenablog.com

アリスは人気がありますからたくさんの方にみていただいたようです。

まあ、たくさんとはいっても知れていますが。

ものを失くした時はこう考えよう

”神隠し”と”厄落とし”

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僕が初めてアリスを読んだのは、何年前かわかりませんが、まあ相当前で、なんで買おうと思ったのか、ジュンク堂でちくま文庫のものを買いました。

今思えばなぜちくまにしたのか、不思議で、おそらく価格が安かったとかなんとか理由はあったんでしょうが、当時は今ほど本や出版社に詳しいわけではなかったので、まあ真剣に考えた挙句”なんとなく”ちくまにしたんでしょう。

 

不思議の国のアリス (Amazon)

 

 ちくまのアリスはこれですが、同じ表紙だったかどうか、ただ翻訳はたしかよくて、言葉遊びが非常に工夫して訳されていたということは覚えています。

アリスが消えた

いやどうしてこんなに曖昧かというと、実はそのちくま文庫のアリスは読んでからほどなくして”消えて”しまったのです。

なくなったと気付いた時、それは探しました。それも思い出すたびに探しました。

本当にずっと探していた。

 

僕は探し物というのが苦手で、この苦手というのがちょっと微妙な表現なのですが、というのも、僕は”ものを失くす”ということが殆どありません。いや実際は気付かないだけで色々と失くしているのかもしれませんが、とにかく失くしたときに失くしたと気付くものは失くしません。

ものを失くしたり、忘れ物をしたり、というのはちょっとした工夫で殆ど全て防ぐことができます。というわけで僕は亡失やら忘失やらというものと距離をとれているのですが、極たまにものを失くすことがある。

それが”ちくま文庫の不思議の国のアリス”でした。

なぜなくなったか?

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上に探し物が”苦手”と書いたのは、その極たまに失くしたときに、その失くしたものに全精神を乗っ取られるからで、みつからないと気になってきになって仕様がない。

もう探しものをするためだけの存在になって、ベッドの下やら本箱のなかやらとにかく探しまくる。一通りみつからないと第二回戦へ突入する。また最初から探し直すわけ。

そのうちに何度もみて絶対にないとわかっているところを何度も探すという”探し物無限地獄”に突入する。あれだけ無駄なことはなかなかない。

 

僕としては”部屋にあった本がなくなる”というのは異常事態で、部屋にあるのだからなくなるはずがない、と思っていた。

つまり前提として、”部屋にあるものが部屋からなくなることはない”ということがあって、”部屋のどこかにはあるのだから探せばみつかる”と思っているわけ。

 

ここが探し物の落とし穴で、そこまで探してないのなら、ないのでしょう。

相当探したあげく僕は

ゴミ箱に本が入ってしまったのに気がつかず、そのまま捨ててしまった

という”みつからない理由”を探し出してその場を収めました。

その場を収めたといっても、それまでに何日も探したと思います。

神隠し

日本語には神隠しという言葉がありますね。

どうしてかわからないが、消えてしまった。

僕のアリスも結局、どうしてかわからないが消えてしまった。

ゴミ箱にはいった、というより、神隠しで消えたとする方がしっくりくる。

神隠しにあったものは、神に隠されているのですから探してもみつかりません。

時々探していたものが、ひょっこり出てくることがある。しかもそれが、何度も見たはずのところで見つかる。みなさんも経験があると思います。

そういうときどうも腑に落ちないものですが、正に神隠しで”見つからなかった時は本当になかった”と考えた方が、よっぽど賢いし面白い。なんだかバークリーか何かのようですが笑

ものを失くすということ

”もの”に執着するのは人の性で、”欲さない”などということができるのは老子位のものですが、欲すれば、失くす必要のない物まで失くすというので、あまり失くしたものに執着すべきではないようです。

とはいうものの、大切なものを失くした時の悲しみというのは大きいもので、知らぬふりをするのもまた難しい。

 

僕はこの一連の「アリス神隠し事件」のことをドイツ語の先生に話したのですが、そうしたら先生は”厄落とし”という考え方について教えてくれました。

ものを失くすとき、ものは所有者の”厄”と一緒になってなくなる、落ちてくれる

というものです。

つまり、ものを失くすということは、災いをさけるためにあって、不運ではなく幸運のことだ、ということ。

 

ごく単純な、都合のよい発想ですが、僕にとっては非常に面白く、ためになる考えです。

失くしたものに対する執着がなくなって心が晴れるようでした。

こういうちょっとした考え方で、科学的ではないかもしれませんけれど、まあ僕は科学(文明)信仰者ではありませんし、心が豊かになります。

こういうものこそ生活の”知恵”というものでしょう。

 

 

先生が不器用な僕を、ごく簡単にたった四文字で、柔軟にしたという話。