きつねの音楽話

老人性古本症候群を患った若者の徘徊ブログ

ネット上の法に触れなければ何をいってもよいという状況が極論を煽動していると思う(はてなブログProにしてみた)

ああ、どうも4月なのに”かいろ”を使っているきつねです。

僕は冷え症で、冬の間は手先や足先が冷えて辛いです。

いま体質改善中で、前よりは随分ましになりました。

 

 

 

ネット上の極論について

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まずはてなブログProのこと

僕はしばらくは無料の方でよいかな、と思っていたのですけれど、兄にプロの方がいいんじゃないかと背中を押されてプロにしてみました。

お試しでとりあえず1カ月プロでやってみます。

 

スマートフォンでみてくださっている方はわかると思いますけれど、実はスマートフォン用のシェアボタンが以前は不完全というか、見ている人からすればバグがあるかのように表示されていたと思うのですけれど、無料版はスマートフォンのフッタをいじられないので、シェアボタンの仕様を変えた時そのまま放置していました。

いや、頑張ればなんとかなったのかもしれませんが、面倒だったので・・・笑

大豆食品のこと

実は僕は肉をあまり食べない準菜食主義なので、そのかわりに大豆食品を、まあおそらく他の人よりは、とるのですが、

大豆食品は概して身体を冷やします。知っていましたか?

 

僕は上に書いたとおり冷え性で、これは準菜食主義になる前の食生活やらなにやらが関係していると思われるのですが、それを改善するというのもあって、食と健康について関心をもつようになりました。

 

この記事では食についてこれ以上は書きませんが、

肉を食べる人にとっては菜食主義者は無為の信仰をもつ馬鹿なやつらで、

食べ物の安全と健康について関心のない人は、そういうことに気をつけているやつは馬鹿だ、と思っている。

何故って、こういうことを僕はよくいわれるんですよ。もちろん全員がそう思っているわけではないでしょうけれど。

 

まあ、これらの真偽はおいておいて、

こういう構図って食のことに限らずあらゆる場面でみられますよね?

多数派に属すると無反省に自分の考えが正しいと思い込んでいることが多い

食だけにではなくあらゆることに関してですが、いわゆる”常識”に則るか、もしくは”無意識の常識”とでもいうべきものに支配されていると、人は別意見の人に対して攻撃的態度をもつようです。

 

これは考えのあらゆる側面にでますから、一人の人であっても、あることに関しては少数意見をもっていて寛容だが、あることについては多数意見をもっていて攻撃的などということもありうるわけですが、

ネット上ではこういう”二分化した果ての排他的極論”が目立つような気がします。

ネットの世界と言動

前にも書いたとおり僕はこのブログを始める前、ネットの世界とは遠いところにいたのですが、こうしてネットに触れる機会が増えて、やたらと目につくのが、右翼左翼のやりとりです。

政府への非難はおいておくとして、右翼の共産主義批判の激しさは目に余るように思われます。

 

別に僕は自分を右翼か左翼かに振り分けたことはないですし、考えとしてはどっちに属しても別によいようなものです。

ただ、みていて

この人は共産主義を攻撃しているけれど、右翼もしくは資本主義者として共産主義を批判したいのではなくて、どうやら共産党をただ攻撃したいらしい。

などと思われることがある。

 

またこの逆もありえましょう。

二分してどちらかに所属したいの?

そして問題は、ある政党を攻撃することが、その政党の不備に対してではなく、別の政党に所属しているから、とか自らの主義に合わないから、とかそういう理由によっていることです。

 

あることがらを二分して、自分をそのどちらかに所属させ、他方を攻撃する

というのがどうやら好きらしい。

 

そして、その過激さをネットが増長させている。

なにを書いてもよい

これはブログを書き始めて感じたことですが、

ブログ(ネット)では本当に何を書いてもよい。

 

ネットでの発言はほとんどが匿名ですから、現実世界でその発言を問題にされることがありません。

 

本を出版するとか、公の場で発言するとなると、いつも自分の顔と名前が、ついてまわります。つまり”責任”が生じる。

ネットの世界では匿名である限り、発言に関して実質なんの責任もない

これが大問題だと僕は思います。

ネット上のことを信頼するか

僕の周りの人々をみていると、ネット上の情報を完全に信頼しているようです。

ほんの些細なこともすぐにスマートフォンで調べています。

そして、本当に便利だ、などと満足そうにしている・・・

 

別にネット上の情報の全てが間違っているといいたいわけではないし、

書籍でも誤りはあるのですが(実際、某有名大型辞書なんかでも間違っていることがある)、

ネットの情報は書きこんだ人に責任がないから、上に書いたように極論が多い。

本をつくるとすれば大概、自分の名誉のためにも、その情報に誤りがないか入念に確かめ、その考えに偏りがないかバランスをとります。

しかしネットの書きこみにはそれがない。

 

そういうものを読んだ人が、それを真実と思い、そういう思想を持つ、などということが大いにありえます。

僕の友人にも右翼的というよりは左翼を攻撃したい主義とみえる危険な発言をしている人がいました。

主義の果てに

もうこうなってくると、自らの信念に従い、あることがらを行う、などということではなくて、

自分の考えていること、所属している所から外れていることをただ攻撃する

という本来あるべきところの真逆から出発することになってくる。

 

真実の一点を探るのではなく、0か1のどちらかに身をおく。

そちらのほうが単純で簡単なんでしょうね。

二分してどちらかに身をおくなんてのは、理系文系なんてのもそうかもしれませんが、大した意味はない。

血液型占いの程度でしかない。

 

これは誰にでも起きうることでしょう。

あらゆる点で中庸な目線を持ちつつ、しかし真実をみることをもまた忘れずに、匿名といえども最低限の責任はもちつつブログを書こう、

とブログを書き初めて思ったという話。