きつねの音楽話

老人性古本症候群を患った若者の徘徊ブログ

昔医者はパフォーマーだった? 藪医者の歴史に学ぶこと

医者といわれて何を思い浮かべるでしょうか。

「医術を勉強して、病院で医療行為をする人」というのが、大体の人の医者像ではないでしょうか。

 

そんな当たり前のことを書く必要があるのかといわれてしまいそうですが、

(近代的な意味で)医術なるものの発祥地であるヨーロッパでも、近代まではその辺の区分が曖昧でした。

 

 

その人が何者かなどということは結局人が決めているにすぎないという話

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例えば有名な話に

床屋のぐるぐる

の話があります。

 

”床屋のぐるぐる”というのはこれです。

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これはサインポールなどというそうですが、

このポールが理髪店の前に置かれているのは、昔ヨーロッパでは外科手術を理髪師がおこなっていたことに由来するという説があり、

この棒の白は包帯を、赤は動脈血、青は静脈血を表しているようです。

(ただし当時(12世紀ごろ)動脈と静脈の区別がなかったので、この説は偽であるという意見もあります)

音楽史の中の医者

西洋音楽史を読んでいて、

これは酷い・・・

と思うものに、John Taylor(ジョン・テイラー、1703-1772)なる外科医の医療過誤があります。

 

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ジョン・テイラー

 

 

これは有名な話ですから、

音楽好きの方は知っているかもしれません。

 

 

J.S.バッハが亡くなるのは1750年ですが、

晩年バッハは視力の低下が著しく、1749年はじめには殆ど仕事ができないほどに視力が落ちていました。

 

1750年の三月と四月の二回、バッハは当時ヨーロッパ中で話題だったイギリスの眼医者ジョン・テイラーの手術を受けます。

 

しかし、結局手術の効果はなく、むしろバッハの体力を著しく消耗させ体調を悪化させました。

そして、七月の終りにバッハは亡くなります。

 

 

さらになんと、テイラーは後年、バッハと同じく視力の衰えていたバロックの巨匠ヘンデルに手術を施し失敗し、

手術の翌年、ヘンデルは亡くなります。

 

同様の手術をし、同じように失敗して、

それが体調を悪化させる原因になって、バロックの二大巨匠の命を奪った最悪の藪医者である・・・

 

 

というのが世にとどろくテイラーの悪事の内容です。

昔の外科医は医者じゃない?

ではテイラーが特別”ヤブ”だったのか、といえばどうもそうではないようです。

 

そのころ外科的医療行為をしていたのは”風呂屋”だったといいます。

そして、”芸人”というのも同じように治療行為を行っていました。

 

 

その最たる例が”抜歯屋”です。

以下の絵を見てください。

 

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中央に堂々と立ち、右手に抜いた歯をもっているのが、抜歯屋です。

そして、この場をよくみてください。

どこですかここは(笑)

少なくとも治療行為のためにつくられた部屋ではないでしょう。

 

つまり、これは治療行為である抜歯とともに、抜歯の技術(芸)を観客に誇示するパフォーマンスでもあるわけです。

よくみると抜歯屋の傍で子供たちが楽しそうにみています。

歌手が薬を売る?

このように当時、治療行為は一種のパフォーマンスだったわけです。

 

また当時のドイツでは、いたるところ事あるごとに歯医者、”絵売り”、”歌手”

さらに、「森のヘンゼル」等という怪しの人物が出没し、

怪しい薬を売っていたといいます。

 

1778年には彼らの薬売りを禁止する法令が(再び)でるほどですから、相当流行っていたようです。

 

絵売りや歌手が薬を売るというのも、現代的感覚からすればおかしなことですが、

上にみたように治療行為も”一種の芸事”であって、彼らにとってみれば歌も薬売りも同じ仕事だったわけです。

 

 

このように当時のヨーロッパでは

”医術”と”芸事”が混淆していました。

 

このような事態と行為は啓蒙主義によって、激しく非難され上にみたような法令がいくつもだされましたが、この状況は19世紀後半まで続きます。

芸術という概念ができた時

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以上にみたように、現在別々のこととみなされている事柄でも、昔は同じように考えられていた、ということが色々とあるわけです。

 

これと逆のパターンというのもあります。

 

偉大な芸術家ダ・ヴィンチや、ミケランジェロ、ラファエロが活躍したのはルネサンスと呼ばれる時代ですが、その時代まだ「芸術家(artista)」という言葉はありませんでした。

彼らの巨大なスケールの活動のうち、次第に各技術がまとめられるような考え方がうまれてきますが、

それまでは「画家」と「彫刻家」は、現代において医者と芸人が異なっているように違う職人仕事と考えられていたようです。

見方は結局人次第

こうみてくると、時代によって事物の区別が異なり、それに対する人間の感覚もまた違うことがわかってきます。

現代において当たり前とされていることも昔は異なり、また未来において異なり得るわけです。

 

外科医がパフォーマンスをするときいて笑った方もおられるでしょうが、現代の医者もまた少なからず”藪”の要素があるのではないでしょうか。

現代人は近代までの魔術等「あやしの力」を嘲笑い、科学に絶対の信頼をおいていますが、

おそらくこの”科学信仰”なるものも未来人からすれば魔術信仰と同じこっけいさがあるに違いありません。

 

歴史を学ぶというのは一体こういう面で視野を広げることに繋がりますね。