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きつねの音楽話

老人性古本症候群を患った若者の徘徊ブログ

植物の面白さ むやみに種を植えたり、栗の木を見張ったりする話。

きつねの話 きつねの話-きつねの日常

今週のお題「植物大好き」

 

 

僕は”タネ”を植えるのが好きである。

 

僕の祖母は畑や鉢植えが好きで、僕の植物好きもあるいはその辺からきているのかもしれない。

僕の播種癖というべきものは幼いころからあって、祖母の家に行くたびに色々と植えていた。

 

 

果物を食べて出て来た種はよく植えた。

みかん、オレンジ、レモン等なんでもありである。

当時植えて今でも残っているのが”ビワ”で、毛羽立った大きめの葉がついている。

 

このビワの葉というのは、実は漢方薬で、なんでも糖尿病の特効薬になるそうである。

ビワというのは昔、植えてあると病人が絶えないなどといわれて嫌われていたらしいが、実は病人が絶えないというのは薬効があるからで、ビワに害があるというのではないようである。

 

僕と兄は幼いころお菓子の「柿の種」を本当に柿の種だと思っていたから、祖母の家でそれを鉢に植えて、帰り際柿の世話を祖母に頼んで帰るという始末であった。

 

 

植物のおもしろさ 僕と植物の話

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そのころからの性癖が残っているのか、僕はとにかく種を保存する癖がある。

 

例えば、南瓜を切って出てくる種はとっておかずにはいられない。

ちょっと珍しい南瓜が手に入ると綺麗に拭いて干しておく。

春先こっそり土に埋めておくとたちまちに大きな株になってほかの植物を大いに害する。

海外産のマンゴーなんかの果物も植えるととても面白い。

 

道端に生えている草花の種も持ちかえって植えてみる。

種をもらう

人から種をもらうというのは本当に面白いことである。

 

自分で種を買うときはパッケージなんかでわかっているから、大体成長後の姿に想像がつくが、人からもらうとどんなものかわからないわけである。

豆の種

歌手のFさんが数年前、豆の種をくれた。

豆の種である。よくわからない。

当時僕は植えるのが初めてだったからわからなかったが、それは「ささげ」であった。

ささげは”さや”ごと食べられる豆で、スーパーなんかでも目にするが、スーパーなんかに出荷されるものは小さい段階で摘まれるらしくやや小ぶりのものが多い。それにどんな思惑があるのかは知らないが、僕が育てたものはもっと大きくなる。

同じ野菜でもスーパーでみるものと自分で育てたものでは姿がかなり違うから面白いものである。

ズッキーニなんか全然大きさが違う。といってもズッキーニは小さいうちに摘んだ方が味がよいらしいからそういうこともあるのだろう。ささげもそうかもしれない。

僕ははつか大根なんかも巨大化させてしまう。

蓮の種

僕は不忍池が好きである。而して蓮も好きである。

どうして不忍池が好きかというと長くなってしまうから省くが、とにかくそれで蓮も好きになった。

 

蓮は睡蓮に比べるとなんというかちょっと葉に品が無いが花は美しい。

お寺なんかで大きな鉢に植わっている蓮をみるのは風情がある。

 

 

数年前、例の喫茶店で染色家の方が展覧会を開いていた。

あまり表に出てこないかもしれないが、染色家という人々も実は意外と多い。

その展覧会の会場に蓮の実(正確にいうと花托)が飾ってあった。

 

この花托が蜂の巣にみえるから”はちす”と呼ばれたのが蓮の語源のようである。

 

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蓮の花托

 

僕がその染色家の方に僕の蓮好きを話すと、嬉しいことにその方はその蓮をゆづってくれた。

蓮の種というのは保存状態によっては相当長い年月もつそうであるから、発芽するかもしれないと思って、二つぶ試してみたがその時はダメだった。

またそのうち試そうと思う。

 

保存状態によっては相当長い年月もつ”というのは、”古代蓮(大賀蓮)”のことである。

20世紀半ばに発掘された2千年以上昔の蓮がなんと発芽して、殖やされている。

大賀というのは発掘、発芽させた博士の名である。

 

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古代蓮

木の実拾い

花壇や鉢植えで植物を育てるのも面白いが、山菜とりや木の実拾いというのはまた別の面白さがある。

 

山菜やきのこ採りは実は相当難しい物で、素人がいってもなかなか成果がでないし、毒草と間違える危険も大いにある。

僕は祖母と山菜採りに行くこともあるが、僕はその能力があまりないから一人では難しい。

そのかわり僕は葉っぱを拾ったり、木の実を集めたりする。

 

僕は僕の年齢からして結構植物に詳しい方だと思うが、僕の先生も植物に相当詳しく、よく一緒に植物の観察、採集をする。

 

春先新芽が出始めて、いまどきは面白い時期であるが、やはり一番盛り上がるのは秋である。

銀杏拾い

銀杏はよく知られているだろうからせつめいすべくもないが、銀杏拾いをしたことのある人は意外と少ないのではないだろうか。

秋ごろ雌のイチョウの木の下に黄色い可愛らしい実がたくさん落ちる。

この実可なり強い悪臭をもっているが、その中に銀杏が入っている。

 

僕は初めて拾ったとき素手で拾ったが、数日後手がぼろぼろになった。

人によってはひどいかぶれを起こすことがあるらしいから注意。

 

周りの実をはいで、綺麗にして、少し煎ってから皮をむく。

弾力のある独特の食感がある。

イチョウの実は食べ過ぎるとよくないらしいから少しにしておいた方が良い。

 

先生はよく道端の草をつんでいるが、そのうち面白いのが”カタバミ”である。

 

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カタバミ

 

カタバミは葉に強い酸があって、これで硬貨を磨くと汚れが落ちてピカピカになる。

先生はよくカタバミをつかって小銭を磨いている。

 

硬貨といえば先生は、硬貨の製造年をよく確認している。

それから紙幣の製造番号もである。

知らない方もあるかもしれないが、紙幣には製造番号が付いている。

それで、気に入った年や製造番号を残して他を使うようである。

 

話はそれたが、カタバミも食べることができる。

が、これも食べ過ぎに注意である。

トチ拾い

もしかすると”とち”を知らない方もいるかもしれない。

フランス語で"marronnier(マロニエ)"という所からもわかるように、栗に似た植物で、マロニエは栗の木のこともさすようである。

栃木の栃である。

 

蛙の手か、天狗の団扇のように広がる大きな五枚の葉っぱが特徴的である。

秋になると、殻に入った実がごろごろ落ちている。

殻は三つの部分からできていて力を加えると、パカリと割れる。

実は丸くてごつごつしているが、茶色くつやがあって美しい。

 

とちの実は食べられない。

いや、適切に処理すれば食べられるのだが、まず二週間流水に浸さないといけない。

僕は残念ながらそんなめぐまれた環境にはない。

 

おそらく食べられないからみんな拾わないのであろう。

とちの木はたくさんあるが、とちを拾う人は少ないようである。あんなに面白いのにもったいない。

 

僕と先生は黙々ととちを拾う。

とちは栗より少し大きいくらいで、なんともよい形の殻に入っているから、拾い甲斐がある。

大体五十個ずつ位拾って、持って帰る。

先生は公園の水道でとちを洗う。(早々に)禊を済ませるのだそうである。

 

とちは食べられないからそんなに持って帰ってもしょうがないのだが、入れ物をつくって飾っておく。

一通り眺めて満足したら庭に埋めるのである。

 

食べられはしないが、焼酎につけておくと鎮痛剤になる。

湿布にするとよい。

栗拾い

僕の家の前に大きな栗の木がある。

法律上は僕の栗ではないが、僕は”うちの栗”と呼んでいる。

 

秋になるとたくさん実をつける。

僕は栗を拾うが、その栗は公共のものだから、通りすがった人もその実を拾っていくわけで、僕は栗拾いに本気になってくる。

僕と通りすがる人の栗拾い対決になるのである。

およそ危険なのはものを拾うのが大好きな子供と、朝早く散歩する老人である。

 

僕は秋になるとその栗の木を見張る。

時間のあるときは一日中栗の木を見張って、食事中も栗のことで頭がいっぱいになる。

 

栗拾いの狙い目は風の強い日である。

まさか長い棒をもっていってつっつくわけにもいかないから、風をたよりに僕は深夜栗を見に行く。まさか深夜に栗の木を見に行くとは通りすがりの人も思わないだろう。

僕の作戦勝ちである。

 

”イガ”は触ると大体けがをするから、靴で挟んであける。

大きな実が入っていると、本当によい気分になる。僕はいつまでたっても子供である。

 

 

栗は栗ごはんにしてもいいし、シロップ漬けにもできる。

去年拾った栗を、陶器に入れて飾っておいたらいくつかカビが生えてしまった。

僕は非常に気を落としてそれを庭に埋めたが、最近埋めた場所をみてみると、なんと芽がでていた。

 

桃栗三年柿八年などというから、数年後にはもっとたくさん栗が拾えるかもしれない。