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きつねの音楽話

老人性古本症候群を患った若者の徘徊ブログ

【古本道】僕の本が本棚から溢れて山積みになっている話

きつねの話 きつねの話-きつねの日常

今週のお題「わたしの本棚」

 

僕の本棚は満杯である。

本棚に満杯という言葉を使っていいのか、ちょっとわからないが、つまりびっしりつまって入れるところがない。

全くない。

何か新しく入れるとすれば、すでに入っているものを出してから入れる。

 

僕の本棚はいつからこういう状態になったのか。

 

僕の本と本棚

僕は数年前まではそんなにたくさんの本を持っていなかった。

 

もっていたのは音楽関係の、楽譜や理論書がほとんどだった。

当時から変らず、今も楽譜は四角い箱のような楽譜入れに、教科書は小さな棚に入れている。

この小さな棚には音楽関係の本の他に、美術書や大型の辞書なんかが入っている。

 

問題はもう一つの棚のほうである。

なぜ本が増え始めたか

このブログをいつも読んでくださっている方にはすぐにわかるであろう、そう原因は”先生”である。

僕の悪癖はだいたい先生から受継いだものである。

 

僕がドイツ語を先生に習い始めて、まあ暫くの間はドイツ語を教えてもらうだけだったのが、一年くらいたつと段々と、一緒に街へ徘徊に出るようになった。

こうして徘徊老人をもって自称する先生の徘徊道に入門することとなった。

 

実際徘徊に目的などないのだが、大体の動きは決まっている。

僕らは例の如くまず喫茶店に集合するのであるが、喫茶店は徘徊コースの一である。

またギャラリーも同じである。

僕の街に点在する喫茶店とギャラリーは徘徊先にそれぞれなっている。

 

そば屋も徘徊先のひとつである。

僕と先生は毎週およそ定時に同じそば屋で同じそばを食べる。毎回同じである。

毎食別の献立でなければならないというような、繊細な舌は持ち合わせていない。

 

そして、徘徊の主目的が古本屋である。

きつね君、古本道へ入門す

古本道というのは全く怪しい”道”で、これはつまり古本屋的知識をみにつけるとか、古い本をたくさん読むとかそういうことに主眼が置かれているのではない。

いや、確かに本に関する専門的な知識や、もしくは本の内容に関することを覚えたり、買った本を読む、ということも古本を買うということに関しては重要なのであるが、古本道のうちでもっとも面白く、主目的たるのは”珍しい良本を低価格で手に入れる”ということにある。

これが本当におもしろい。

 

古本のことを、というと”本のことを”ということも含まれるのであるが、それを知らないとわからないかもしれない、

珍しい良本を低価格で手に入れるというのはなかなか難しいことなのである。

まあ、詳しいことを書きだすと大変なことになるから書かないが、おそらく骨董の趣味と近いところがある。

様々の偶然を経て、するりと自分の手に貴重な本が滑りこんできたときは、なんともいえず楽しい。

 

とはいっても当初は本のことがよくわからなかったから、今思えば別に買う必要のない、というのは古本道的にはという意味だが、本まで買っていた。

本棚、埋まりだす。

古本道に入門した当時は、その問題の本棚は使っていなかった、というのはまだ本棚を使う程本がなかったからであるが、ボール箱に包装紙などのきれいな紙をはって、手製の本箱をつくって本を入れていた。

 

そのうちに、三つ四つあった本箱はたちまち満杯になり、仕方がないからそれ以上の本は”床”に敷き詰めることにした。

本がどんどん増えるから、床がどんどん埋まっていき、行動範囲がどんどん狭まっていく。

 

あまりに混沌とした部屋をなんとかしようと思って、僕は本棚を使うことにした。

僕の本棚は高さが2m位、幅が1.5m位のもので、敷き詰められた本や本箱の本を移すとだいたい半分位が埋まった。

僕は文庫新書は出版社で分けている、他のものは内容によって分けている。

 

本棚に場所を移して、暫くは快適な古本道を歩んでいたのであるが、最近になって収容の限界が来た。

僕は大型の、辞書などは本棚から出したりして、本棚の模様替えをして、最大収蔵数を目指した。

 

 

・・・頑張ったが、もう駄目である。

これが古本道の宿命である。

もう、何をどうしても全く入らない。

びっしり入っている。頭から尻尾の先までびっしり入っている。

溢れだした古本が、机の上に積み重ねられて山をなし始めた。

 

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本が入らないなら、本棚を買えばいいのに

などと思った人は貧民の僕とは御身分が相当違うに違いない。

 

それに古本道に身を置くものは、明日どうなるかわからない身で猶本を買続けるというやっかいな病気、”古本病”に罹ってしまうのである。

先頃、ドイツ語を勉強していたらこんな文があった。

Es ist die gemeinsame Psychose aller Gebildeten, daß sie sich immer mehr Bücher anschaffen müssen, da sie doch weder Zeit noch Lust haben, sie auch nur aufzuschlagen.

(開く時間もなければその気もないのに)

これがちょうど僕のことのようで面白かった。

 このaller Gebildetenのところを何か、der Torenなんかに変えれば僕の状態をいい得る。(細かい意味が気になる人は・・・そんな人いないか)

あとがき

実はここ数日体調を崩しておりまして、ブログの更新が止まっておりました。(まあ最近は元からかなり低頻度の更新ですが・・・)

そんな方いるかわかりませんが、もし覗きに来てくださった方いたらごめんなさい。

あと更新再開の記事がこんなくだらない記事でごめんなさい笑