当ブログは移転しました。

きつねの音楽話

老人性古本症候群を患った若者の徘徊ブログ

これはものすごい立派な文章で書かれた青春小説です。(一葉の「たけくらべ」を読む)

 どうも、きつねです。

前回この記事↓で予告していたとおり、今日は一葉のたけくらべについて書きます。

fuchssama.hatenablog.com

 

 

樋口一葉の「たけくらべ」を読む。

読んだことのない人でも題名は知っていましょう、有名な作品ですね。

僕も結構前から読もうと思ってはいたのですが、余計なことばかりしていてなかなか手に取られませんでした。

一葉

f:id:fuchssama:20160822221529p:plain

写真をみてわかる通り、今の五千円札の人です。

樋口一葉は明治5年の生れ、たけくらべを書いたのはなんと23歳のころで、その翌年明治29年24歳で亡くなります。

早熟の天才は決まって夭折するというに一葉ももれなく、どうしようもないことではありますが、非常に残念に思われます。

 

生活に困窮した晩年、吉原近くの竜泉町に雑貨屋を開きますが上手くいかなったようです。しかし、その店での経験がたけくらべを生み出しました。

とにかく一文が長い。

 たけくらべも藤村の若菜集と同じく文語が基本ですから、ちょっと読みにくいかもしれません。

特に冒頭は長文も長文、驚くべき長さでありまして、一葉の意気込みが感じられるような立派なものになっています。

参考に冒頭の一文を載せます。

 

廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火(ともしび)うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來(ゆきゝ)にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前(だいおんじまへ)と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申しき、三島神社(みしまさま)の角をまがりてより是ぞと見ゆる大厦(いへ)もなく、かたぶく軒端の十軒ニ十軒長や、商ひはかつふつ利かぬ處とて半さしたる雨戸の外に、あやしき形(なり)に紙を切りなして、胡粉ぬりくり彩色のある田樂みるやう、裏にはりたる串のさまもをかし、一軒ならず二軒ならず、朝日に干して夕日に仕舞ふ手當こと〲(ごと)しく、一家内これにかゝりて夫れは何ぞと問ふに、知らずや霜月酉の日例の神社に欲深樣のかつぎ給ふ是れぞ熊手の下ごしらへといふ、正月門松とりすつるよりかゝりて、一年うち通しの夫れは誠の商賣人、片手技にも夏より手足を色どりて、新年着(はるぎ)の支度もこれをば當てぞかし、南無や大鳥大名神、買ふ人にさへ大福をあたへ給へば製造もとの我等萬倍の利益をと人ごとに言ふめれど、さりとは思ひのほかなるもの、此あたりに大長者のうわさも聞かざりき、住む人の多くは廓者にて良人は小格子の何とやら、下足札そろへてがらんがらんの音もいそがしや夕暮より羽織引かけて立出れば、うしろに切火打かくる女房の顏もこれが見納めか十人ぎりの側杖無理情死(しんぢう)のしそこね、恨みはかゝる身のはて危ふく、すはと言はゞ命がけの勤めに遊山(ゆさん)らしく見ゆるもをかし、娘は大籬(おほまがき)の下新造(したしんぞ)とやら、七軒の何軒が客廻しとやら、提燈(かんばん)さげてちよこちよこ走りの修業、卒業して何にかなる、とかくは檜舞臺と見たつるをもかしからずや、垢ぬけのせし三十あまりの年增、小ざつぱりとせし唐棧ぞろひに紺足袋はきて、雪駄ちやら〱忙しげに横抱きの小包はとはでもしるし、茶屋が棧橋とんと沙汰して、廻り遠や此處からあげまする、誂へ物の仕事やさんと此あたりには言ふぞかし、一體の風俗よそと變りて、女子(おなご)の後帶きちんとせし人少なく、がらを好みて巾廣の卷帶、年增はまだよし、十五六の小癪なるが酸漿(ほゝづき)ふくんで此姿(なり)はと目をふさぐ人もあるべし、所がら是非もなや、昨日河岸店に何紫の源氏名耳に殘れど、けふは地廻りの吉と手馴れぬ燒鳥の夜店を出して、身代たゝき骨になれば再び古巢への内儀(かみさま)姿、どこやら素人よりは見よげに覺えて、これに染まらぬ子供もなし、秋は九月仁和賀(にわか)の頃の大路を見給へ、さりとは宜くも學びし露八が物眞似、榮喜が處作、孟子の母やおどろかん上達の速やかさ、うまいと褒められて今宵も一廻りと生意氣は七つ八つよりつのりて、やがては肩に置手ぬぐひ、鼻歌のそゝり節、十五の少年がませかた恐ろし、學校の唱歌にもぎつちよんぎつちよんと拍子を取りて、運動會に木やり音頭もなしかねまじき風情、さらでも敎育はむづかしきに敎師の苦心さこそと思はるゝ入谷(いりや)ぢかくに育英舎とて、私立なれども生徒の數は千人近く、狹き校舎に目白押の窮屈さも敎師が人望いよ〱あらはれて、唯學校と一ト口にて此あたりには呑込みのつくほど成るがあり、通ふ子供の數々に或は火消鳶人足、おとつさんは刎橋(はねばし)の番屋に居るよと習はずして知る其道のかしこさ、梯子のりのまねびにアレ忍びがへしを折りましたと訴へのつべこべ、三百といふ代言の子もあるべし、お前の父さんは馬だねへと言はれて、名のりや愁(つ)らき子心にも顔あからしめるしほらしさ、出入りの貸座敷(いへ)の秘藏息子寮住居に華族さまを氣取りて、ふさ付き帽子面もちゆたかに洋服かる〲と花々敷を、坊ちやん坊ちやんとて此子の追從するもをかし、多くの中に龍華寺の信如(しんによ)とて、千筋(ちすぢ)となづる黑髮も今いく歳(とせ)のさかりにか、やがては墨染にかへぬべき袖の色、發心は腹からか、坊は親ゆづりの勉强ものあり、性來をとなしきを友達いぶせく思ひて、さま〲の惡戯をしかけ、猫の死骸を繩にくゝりてお役目なれば引導をたのみますと投げつけし事も有りしが、それは昔、今は校内一の人とて假にも侮りての處業はなかりき、歳は十五、並背(なみぜい)にていが栗の頭髮(つむり)も思ひなしか俗とは變りて、藤本信如(ふぢもとのぶゆき)と訓(よみ)にてすませど、何處やら釋といひたげの素振なり。

 

いや、なかなかこんなに長い文は見られませんね笑

打つのが本当に大変でした。

あらすじ

この最後のところにでてきた藤本信如というお寺の子と、このあとに出てくる美登利(みどり)という娘が、いわば主役です。

この二人は一応敵対する関係にあるものの、そのうち密かに想いあうようになります。

しかし、信如はどこまでもつれなく、美登利をほとんど無視したまま修業のため町をでることになりますが・・・

 

短い作品なので話の筋はこれでほとんど言い表わせているといってよいくらいなのですが、内容はすごく濃いもので、なにより最後の終りの爽やかさはこれ以上ないものです。

ここまで読み終わった瞬間に一転、晴れ晴れとした気持ちになったことは、他にありません。

かしの用法

前の藤村の記事で”かし”の用法について少し触れました。

若菜集では「命令形+かし」の形がみられましたが、たけくらべでは上に書いた冒頭でもみられますが、おそらく最も多い使い方、「ぞ+かし」がみられ、僕の見たところではそれが殆ど全てでした。

例に書きだしてみます。

 

―新年着(はるぎ)の支度もこれをば當てぞかし、

 

―誂へ物の仕事やさんと此あたりには言ふぞかし。

 

―此髷(これ)を此頃の流行とて良家 (よきしゆ)の令孃(むすめご)も遊ばさるゝぞかし、

 

―酉の市を除けては一年一度の賑ひぞかし、

 

―己は揃ひが間に合はなんだと知らぬ友には言ふぞかし、

 

―それは戀ぞかし、

 

―身にしみて口惜しければぞかし、

 

―女子衆達のあと〱まで羨まれしも必竟は姉さまの威光ぞかし、 

 

これくらい一気にみるとさすがに語感が身についてきますね。

 

あとちょっと面白いのがこの箇所で、

何時までも何時までも人形と紙雛(あね)さまとをあひ手にして飯事(まゝごと)許りして居たらば嘸かし嬉しき事ならんを、 

 の”嘸かし”は現代でも慣用的に使われますね。

”さぞ”はさ(それの意)にぞがついたものですから、これも一応”ぞ”に”かし”のついた形とみられましょうが、これはおそらくすでに熟していたものでしょう。

ここでは副詞的につかわれていますが、もともとは相手のいったことに対して強く同意する言葉ですね。

 おわりに

僕はひねくれているので、古い表記でないとどうも読む気になれないのですが、慣れない人は別に無理する必要もないのかもしれません。

ただ文語の作品なので、仮名遣いはどうしても旧かな遣いによると思われます。

読んでみると歴史的仮名遣いに則らない仮名遣いがいくつかあって、時代柄もありましょうが、むしろその見た目や音の感じが特徴的で面白いと僕は思いました。

 


たけくらべ (Amazon)

 

この集英社版など新表記を採用しているようです。(どこまで新表記なのかちょっとわかりませんが・・・)

 

文語が全く読まれないという人は現代語訳でよむのもよいかもしれません。

たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (Amazon)

 この訳は原文の香りを残しているようですが、現代語訳を読むときはなるべくそういうものを読むとよいと思われます。

 

僕も原文でざっと読みはしましたが、全てこなしたという気も全くしませんから、そのうちにまた読むと思います。一度読んだきり、もういいやと思うものも結構多いのですが、たけくらべはまた読みたい作品です。

二十そこそこでこれだけのものが書けてしまうということに、とにかく感服するばかりで、僕も大いに見習って少しでもこういう立派な文章に近づきたいところです。

次回

うーん、何を読もうか。

今年は漱石の年なので、漱石をすこし読もうと思っているのですが・・・

とりあえず草枕あたりを読む・・・と思います。(曖昧)