きつねの音楽話

老人性古本症候群を患った若者の徘徊ブログ

しいたけさんことわっとさんから本が届いた。

今晩は寒うございますね、Anorakです。

 

先日ツイッターにてこのようなつぶやきをしたところ、しいたけさんことわっとさん(id:watto)から返信があった。

 

 

 このリンクの先はこの記事でわざわざさらした僕の汚い本棚の写真である。

fuchssama.hatenablog.com

 

で、僕はこう返した。

 

一件落着した。

 

 

・・・と思った。

 次の日僕はこの記事を投稿した。

fuchssama.hatenablog.com

 

するとわっとさんがはてブ(はてなブックマーク)をつけてくれたのだが、そこにこうコメントがあった。

 内容についてどうこういう前にわっとさんの口調の変化に僕は恐怖した。この人本当にあのブログを書いている人?ガタガタ

わっとさんのブログ↓

www.watto.nagoya

 

これについて、あるいはわっとさんについての言及はあとにまわすとして、僕はこう返した。

 偏屈を具現化したのが僕である。

ただこれは詭弁でもなんでもない、事実である。

 

すると慈善を具現化したわっとさんからこう返事がくる。

 

「であ」という副詞か接続詞かを僕は知らないが、これは打ち間違いか、それとも方言か

まあ意味としては「というのは」というのだろう。

”読まずに鑑賞して楽しんでいただきたく”というので、僕はこう返した。

・・・なんとなく押し負けた気がする。 

 

で、届いたのがこちら

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岡倉天心の「茶の本」の原本である。Kakuzoというのは覺三で、天心の本名である。

 天心は生前主に本名で活動したらしい。

 

天心のことを僕は知らないが、

前に音楽取調掛か東京美術学校か日本美術院か、なにかにかかわって、音楽史か美術史かで触れたのだろうと思う。

天心関連の書籍を図書館で読んだ記憶がある。

その時何を読んだか、本当に僕の頭の働きは粗末なものだが、ほとんど覚えておらず、はっきり覚えているのは天心が馬に乗っている姿(写真)と、天心の不恰好といっていい右肩下がりの筆跡である。

右肩下がりといえば、美術関連の古本に右肩下がりで天心の筆跡によく似た書き込みを二度ほど見たことがあるが、美術を勉強している人が憧れに、真似をすることがあるのかもしれない。

・・・とにかくその時ほしい物リストにこれを入れたらしい。

 

 

僕はこの本を読まずに鑑賞するので、書かれている内容について書くことは避けたいが、なんとなく眺めていて諸君の参考になりそうなことを少しだけ書いておく。

 

初版については

,,,originally published by Fox, Duffield and Company in 1906.

 と書かれているこの部分がなんとなう参考になりそうな気が眺めていてする。

この本自体はNewYorkのDover Publications, Incが1964年に出したものらしい。

 

この本(の内容)がどういうものか、というのは裏表紙にあるこのあたりが要して表していそうな気がする。

Okakura exhibits the distinctive "personality" of the East through the philisophy of Teaism and the ancient Japanese tea ceremony.

 

 また天心の英語については

Okakura's English style was graceful, yet exceptionally clear and precise, and this book is one of the most delightful essay-volumes in the English language.

 というこのあたりが眺めたい気持ちを高めてくれそうな気がする。

 

 参考にこの本の目次を記しておく

 

CONTENTS

Ⅰ. The Cup of Humanity

Ⅱ. The Schools of Tea

Ⅲ. Taoism and Zennism

Ⅳ. The Tea-Room

Ⅴ. Art Appreciation

Ⅵ. Flowers

Ⅶ. Tea-Masters

Afterword

 

The Cup of Humanityという章から始まるのが面白いと思いそうな感じだ

(おそらく)茶道の先生をtea-masterというのも

この本には本文の前に編者のE.F.BleilerのIntroductionがついている

 

というわけでわっとさんから茶の本が届いた。

本当にありがとうございました。

茶の本に興味のある人は日本語訳が沢山でているのでチェックしてみてください。

 講談社学術文庫は英日語が収録されているよう

 

 

わっとさんについて

しいたげられたしいたけさんことわっとさん

・・・こととといっても、僕はしいたけとわっととどちらが主なのか知らないが、その人のブログを拝見するようになったのはつい最近のことである。

ブログへのリンクは上に貼った。

 

これを書くとあるいは失礼かもしれないが、僕がわっとさんを初めて確認したのは例の「互助会事件」の時であった。

あの互助会ランキングのたしか上位のほうにしいたけマークがランクインしていた(笑)

ここで互助会について、あるいはあの事件についてあれこれ書くのは控えるとして、まあ別にランクインしていたからといってどうということもない。

とにかく、あのランキングでわっとさんのしいたけ姿を初めて確認したのだった。

 

わっとさんといえば、おそらくこの活動が原因で互助会ランキング入りしたのだが、はてブ、はてなスター、twitterのいいね♥などの連続投下、本人が「援護射撃」と称していたので、僕は「わっと砲」と呼んでいるが、そのわっと砲がある。

わっとさんのネットアクティブというか活動力はすごすぎるところがある。

 

僕は2016年の2月にこのブログを初めて以来、まあ始めのころは他のブログも結構見ていたが、途中からはほとんど無見無言の作業を続けていたので、このブログは他のブログとのつながりがあまりなかった。

それでも最近はどうか、むしろ書き方としては前の方がよい面もありそうだが、音楽等に特化していたので、PV(ページビュー)などはたぶんこのブログの読者さまが思っているより伸長している。

ただ、互助会事件以来、はてな自体がブログ同士のつながりを積極的に切る措置をとっていったので、ますますこのブログは検索流入主体になっていった。

 

・・・そういや去年の一時期やりとりしていた「ますもと」くんというブロガーがいたが、あるとき彼の痕跡はネット上から一切消えてしまった。ますもとくん元気かな

 

僕がブログについてどういう目的、目標があるかということはブログにほとんど書いていないが、とにかく続けることだけは確かなので、長く続けるということを考えた時に、検索のみ頼りとするよりは読者さまあるいは読者さまの属するSNS、あるいははてな自体とつながりを強くしておいたほうがよいという考えに至った。

実際、はてながHPを改変してからも人気のあるブロガーは変わらず人気があり、またはてなブックマーク界においても活躍している。一方このブログの拡散力は落ちた。

その状況の中で僕は他のブロガーがどういうことを書いて、どういう動きをして、どういう反応が外部からあるかということが気になりだした。

 

・・・まてまてこれでは長くなる笑

細かいところは省略するとして、

結局、ブログを色々見ていて、わっとさんを発見したわけである。

 

わっとさんのブログは僕にとって結構な驚きだった。

何が驚きか書くとまた長くなるので、短くかくけれど、

専門的、複雑、雑多

こんなところである。時に学問的でもある。

比肩しようとするわけではないが、僕のブログもそんなものである。

しかし、読者の反応が違う。

わっとさんのブログは結構人気らしい。このブログは閑古鳥が鳴いている。

 

閑古鳥が鳴いているのも僕は好きだが、ブログとしてはいただけない。

だから密かに、私淑している。これで密かではなくなったが。

僕が音楽のことを詳しく書いても、

長くて難しくてわからない

という反応が返ってくるか、そもそも読まれないかのどちらかである。

実に難しい。

 

 

 

僕の英語力について

わっとさんから矛盾をつかれた僕の英語について少し書く

これは読まなくていい話なので、暇な人だけお読みください。

 

 僕は一年半前程、ブログを始めてひと月程でこんな記事を投稿した。

fuchssama.hatenablog.com

 この記事以降英語の学習に関する記事が幾記事か続くが、そこには、恐れ多くも、はっきり僕が英語を「読める」という書き方をしている。

 

一つ目の弁明としては(笑)、この記事にもあるように英語系の記事の人気があったこと。それをみて英語について書けば効果があるかもしれないと思い書いたわけである。

書き方をみてもわかるが、今と全然違って、ブログの書き方を試行錯誤している最中なのである。もちろん今も迷走はしている。

嘘は書いていない・・・と思う。一連の記事に書いてある事はおおよそ僕の本心と経験である、はず。

 

二つ目の弁明は

この「読める」ということが視点によって異なるということである。

第一読めるとはなんのことを言うのか、まあこういう細かいことを問わないのがネット文化であるが、

英語が読めない人にとってみれば僕は英語が読める人だと思う。

英語が読める人にとってみれば僕は英語が読めない人だと思う。

これである。

僕は英語圏に言った事がないからなんとも言えないが、おそらく旅行にいって日常的な会話をしたり、表記を読んだりするくらいは多少は間違うだろうが、だいたい問題無くできると思う。

ただそれがたとえば「イギリスの法についての英文を読み、汝の意見を正確な英語で述べよ」と言われたら、問題ありまくりであろう。

「読める」というのが、どこから読めるといって、どこから読めないというのか、これがはっきりしない。

 

ぐだぐだ言うのはこのくらいにして、

僕の英語力というのはそのくらいの貧しいものだということである。

でもだから英語を読むのである。わからないから学ぶんでしょう?

 

はいおわり!

そうでもついでに書いておくと、

僕がなにについても途中だからこそできることがあるんじゃないかなーという気がする。

ブログとかウェブ上の記事ってだいたいが上の僕の英語記事みたいに、

出来る人が出来ない人に教える

とか

知っている人が知らない人に教える

という形式だと思うんだけれど、

出来ない人が出来ない人と学ぶ

っていうのがあっても面白いんじゃないかなと思う。

それだと読む人も完全な受け身じゃなくて積極的な姿勢を持てると思うし

そっちの方が見につきかたもいいだろう。

 

ごちゃごちゃと書いてしまったけれど今回はこの辺で、

最後にわっとさん本当にありがとうございました。

「フーガ」を送ってくれた方も本当にありがとう。↓

fuchssama.hatenablog.com

 

なんか

記事が長い!

っていう声がもう聞こえている・・・

それではとっととさようなら