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きつねの音楽話

老人性古本症候群を患った若者の徘徊ブログ

トゥーハンドレッドろくじゅうごえん、Anorak死亡説

最近大切にしている五円玉がある。

平成元年と刻まれたその硬貨は平成生まれとは思われない古びた容貌をしている・・・。

 

これは先日の遠出中の出来事である。

夜になり雨が強く降り始め、宿に戻る途中追い立てられるように慌しくコンビニへはいった。

 

 トゥーハンドレッドろくじゅうごえん

飲み物やらなにやらをカゴへ入れてレジへ並ぶ。

夜にかかわらず、あたりにコンビニが少ないせいか、結構な客の出入りがあった。

 

自分の番が来てカゴを台の上へ載せると、店員が客の多さに慌てて品物を打ち出す。

中年の、まさに中肉中背というのがふさわしいような、男性、おじさんである。

 

僕のカゴに入れた商品は数点だったから、慌てながらも、すぐに打ち終わって金額が宣言される。

「735円になります。」

僕は野口英世さまを一枚差し出した。

「おつり265円です。」

と言われて受け取ったおつりの中に、やけに古びた硬貨があった。

僕はその硬貨をみながらこう考えた。

この古びた硬貨は何年の鋳造か。え、平成元年。周りの昭和5,60年生まれの硬貨に比べても明らかに古びている。同じ硬貨にも劣化の仕方に違いがあるのか。それともこの硬貨だけ特に事情があってこの風貌を呈するようになったのかどうなのか・・・とにかく変だ。

僕は商品が袋へ入れられる間、その五円玉をじっと眺めていた。

すると、店員が何か言っている。

・・・えん、おーけー?

顔を笑顔に引きつらせながら、僕の手の中の硬貨を指して何かを訴えている。

僕は五円玉に夢中だったから、おじさんが何を言っているのか最後までわからなかった。

 

宿について一部始終を見た妹がいう。

「あの人、すごい慌ててたね。」

妹によるとあの店員は、おつりをじっと見ている僕を、おつりの額を疑っている外国人観光客だと思い込み、僕に額の確かなのを伝えようとしていたというのだ。

そしてその店員は、僕は何かごちゃごちゃいってききとれなかったのだが、こう言っていたという。

「トゥーハンドレッドろくじゅうごえん。トゥーハンドレッド、ろくじゅう、ごえん、おーけー?」

 

 

妹はあの数分間の出来事に、中年男性店員の身の上を想像の中で確固たるものとして、男性の人生に裁断を下していた。

僕は妹の観察眼の異様にするどいのを恐れると共に、あわれな男性店員の身の上を案じた。

 

その五円玉は今も僕のがまぐちの中にあって、口を開くたびにその古びてうす汚れた貌をみせる。

僕はなんとなくこの五円玉が気に入ったから、うっかり支払ってしまうまでは、大切にしようと思う。

 

Anorak死亡説

何ヶ月か前に携帯電話をかえた。

僕自身は携帯電話を持たないというのも面白いと思うのだが、そうでなくても行方不明になりがちな僕を心配した周りに、半分無理矢理持たされている。

 

というわけで人並みに電話番号というのを持っているのだが、今度電話をかえたとき、連絡先を古い電話から移さなかった上、メールアドレスをつくらなかった。

電話番号も変えたら本当に連絡のつかない人になって面白かったのだが、手続きに誤って前の番号を引き継いでしまった。

 

まあ、SNSなどもやっていないし、それでもほとんど誰からも連絡が来ない。

僕に連絡する手段は、電話か、(よくわからないが)電話番号に無理矢理くくりつけられたe-mailか、それか手紙である。

僕は数年前から、e-mailより手紙のやりとりのほうがいいと、周りに宣言していたため、たまに手紙が届く。僕もたまに出す。

 

 

つい先日、何かと気にかけてくれる友人、このブログをほとんど唯一知っている友人だが、その人が僕の住む街に来たときに、

イマチカクニヰル。

という旨のe-mailをよこしてきた。

いや、実際はもっと現代風の書き方だったが、ほとんどこんな電報風の書き方である。

僕はこの文をみて、

メタメッセージが過ぎる

と思ったが、それはこの際いいとして、とにかく会うことにした。

呼ばれた場所へ行くと、もう一人友人がいた。

この友人ももう長い付き合いで、よく3人で会ったのだが、ここ数年は連絡をとっていなかった。

僕の来るのを知らないその友人は僕の顔をみるなり、

「うわっ、生きてたの?」

といった。

 

話を聞くと、他にも僕と連絡を取ろうとした友人がいて、その人と

e-mailを送っても返ってきてしまうし、もう生きているかさえわからない

という話になったのだそうだ。Anorak死亡説である。

ただわずかの間連絡がつかないだけで、生死不明になるとは予想以上で愉快だった。友人達は今も、この瞬間も、e-mailやSNS上でコミュニケーションしていて、互いに安否確認しているのだろう。

 

僕は一度の別れが、あるいは今生の別れになるかもしれないという古代の感覚をみたような気がして、万葉の歌をおもった。

いはしろのはままつがえをひきむすびまさきくあらばまたかへりみむ

この歌ほどに感情を強めるのは、これは特に事情があるから、難しいにせよ、

わがいのちしまさきくあらばまたもみむしがのおほつによするしらなみ

という穂積老のこの歌くらいに強く潔い気持ちは持ちたいものである。