読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

きつねの音楽話

老人性古本症候群を患った若者の徘徊ブログ

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「怪談 Kwaidan」を読む

古本屋でなにげなくみた本の中に小泉八雲のことが書いてあった。

その英語の美しさについてである。

 

僕はまだ読んでいなかったけれど、岩波文庫の「怪談」の翻訳をもっていることを思い出して、原作が手に入るまでに翻訳のほうを読んでおこうと思った。

 

 小泉八雲の「怪談」を読む

小泉八雲(1850-1904)はギリシャ生まれのイギリス人で、元の名前はPatrick Lafcadio Hearn。のちに日本に帰化している。

東京帝大英文科の、漱石の前の講師である。

 

「怪談」は原題を

KWAIDAN

Stories and

Studies of

Strange Things

といって、

昔は英語の教科書にこの本の中の一話が載せられていたこともあるらしいけれど、僕のときは読まなかった。

 

”怪談”というと、とにかく恐ろしい話が書いてあるような気がするが、英語の題のとおり、怖い話というよりはStrange Things 奇妙な話に近い。あるいは不気味な、不可解な話である。

最近の”怖い話”とか”ホラー”とかいうものとは性質が違うものである。

人を怖がらせようとして作られたのではなく、話の筋の結果が不気味で、時に怖い。

 

目次

怪談の目次(原作)は以下

 

KWAIDAN

 THE STORY OF MIMI-NASHI-HŌÏCHI

 OSHIDORI

 THE STORY OF O-TEI

 UBAZAKURA

 DIPLOMACY

 OF A MIRROR OF THE BELL

 JIKININKI

 MUJINA

 ROKURO-KUBI

 A DEAD SECRET

 YUKI-ONNA

 THE STORY OF AOYAGI

 JIU-ROKU-ZAKURA

 THE DREAM OF AKINOSUKÉ

 RIKI-BAKA

 HI-MAWARI

 HŌRAI

INSECT-STUDIES

 BUTTERFLIES

 MOSQUITOES

 ANTS

 

結構な話数だが、もちろん話ごとに差はあれど、一話いちわは短いものである。

後半の「昆虫の研究」というのは虫をテーマにした随筆である。

 

怪談の中でもっとも有名なのはおそらく一番はじめの「耳なし芳一の話」であろうが、これは小泉八雲自身も気にいっていたようである。

 

僕は後半の「青柳の話」や「安芸之助の夢」、「蓬莱」などが特に気に入った。

前半はおよそ江戸の怪談を補筆等して完成させたものであるが、後半はやや趣が違う。

この本は怪談を怪談として読ませるということのほかに、日本の怪談を外国に紹介するという性質を持っている。

というので話としてはいささか不完全ながら、というか不完全だからこそハーンの創造力がよくみえるのである。

 

 僕が持っているのは上にも書いたとおり、岩波文庫にはいっているもので、訳者は平井呈一である。

 

僕は読み始めてなによりもまず訳文の美しさに心ひかれた。

翻訳ものは概して不完全なものが多く、ほとんどが、原文にかなり強くひっぱられた、逐語訳を整えただけのものである。

そうなると言葉自体の調子や美しさは無視しなければならなくなって、話の筋をおうだけになってしまう。

それに対して平井呈一訳は全く日本人が日本語で考えた文章になっていて、また非常に美しい。

ハーンは江戸の怪談を研究して英語にしたので、元が日本語だから、原文の英語のなんというか地の部分が日本語的なのかもしれないが、まあとにかく美しいことにかわりはない。

僕がもっているのは昭和38年発行の第25刷で旧表記のものだが、今出版されているものはおそらく改版されていると思われる。

 

翻訳もので原文にならぶ、あるいは超えてしまうものはなかなかないものである。

よく原作を超えた翻訳としてあげられるのは、森鴎外の「即興詩人(アンデルセン)」とか、これは”よくいわれる”かはわからないが、上田敏の「海潮音」などである。

そもそもハーンの「怪談」自体はるかに”原作を超えた”ものであろうが、平井呈一訳も少なくとも原作にならぶべき訳であるといえると思う。

僕は原作が読めるなら翻訳は別によまなくてよいと思っているけれど、この訳は読んで損はないと思う。

とそう思っていてよくよく解説を読んでいると最後のところに荷風に朱正を仰いだと書いてあるのでますますその感を強めた。

原作のKWAIDAN

さて原作、つまり英語のほうはどうか。

今僕の手元にあるのはTUT BOOKSのもので、これは1904年アメリカで初めて出版されたものの翻刻版である。

 

 

中にはふたつほど挿絵が載せられていて目次のあとにこう書いてある。

NOTE ON THE ILLUSTRATIONS

The two drawings are by the Japanese artist, Keishū Takénouchi...

 おそらくは武内桂舟(1861-1942)の絵なのだろう。

「雪をんな」と「蝶の舞」の挿絵がある。

雪をんなのほうは雪女が老人に”白い煙のような息”を吹きかけているところで、雪女は白く美しく、どちらかといえばどす黒い肌の老人のほうがおそろしい。

「怪談」の中では「雪をんな」が一番”怖い話”であった。

 

とにかく美しい英文だというからいくつかだけでも読もうと思ってぱらぱらめくっていたら、これが本当に美しいので先生にそう話したら

それは”全部”読むといいですね

といわれて僕はそれはちょっと大変なことだと気が重くなりながらも全部読むことにした。がまだすべては読んでいない。

 

見本に「HŌRAI」の冒頭を載せる。

Blue vision of depth lost in height, ーsea and sky interblending through luminous haze. The day is of spring, and the hour mornig. 

書いてある内容自体が美しいからどうもこれでよいのかわからないが、とにかく詩のような調子をもっていることは伝わるであろう。

とくに「日まはり」は散文詩と評せられているように、なんとも美しい話である。この話だけ日本の怪談ではなく、ハーンの少年時代の美しい思い出である。

僕の乾ききった砂漠のような心にもいくらか湿り気を催すほど、それほど強く感情に訴える力をもっている。

あとがき

僕の紹介する本はよく絶版になっているが、この「怪談」は翻訳も原作も現役であるらしい。

調べると幾種かの翻訳があるようだ。

 

僕はとにかく原文をざっと読んでみようと思う。

帝大の英文科の先生になるくらいの人の文章だから当たり前だろうが、英語の勉強をしている人にはおそらくすばらしい教材になると思われる。

それに読めばわかるが、日本人が日本を見直すによいきっかけをあたえてくれるべきものでもある。

考えれば難しい話だが、考えないよりはましかもしれない。などという曖昧なことばを放り出して、今日のところはやめにしておく。