他人の孤独は目にみえない
セザンヌの画集を眺めていた。
セザンヌというのはこんなものかとページをめくりながら考えていた。
画集には前書きから始まり、絵と合わせられた本文と、結構な量の文章があった。
そして後に何名かのセザンヌ論が載せられている。
ざっと内容を見ていると、どれも大したことは書いていないことがわかる。
ただその中にひとつ興味をひくものがあった。セザンヌの孤独についてである。
孤独の、色々なかたち
大方の準備を終えて、さてそろそろ出発しようかと考えていたところで電話がなった。
「アノ君ですか。実は今日急用ができたんで、行けないことになりました。・・・はい、ではまた。」
まったく気が抜けてしまった。でもこのまま家にいてもだらけるだけだと思って、近くの街まで散歩することにした。
ここ数日は日差しが強まって晴れ晴れとしていて気持ちがいい。
それに僕は歩くのが嫌いじゃない。
歩きながら考える。
セザンヌは孤独だった。
父親が銀行家で、生活に困るということはなかったけれども、銀行家の父親が絵描きなどいう職を認めるはずもなかった。
ルノワールやモネ、それからリルケなどからは高く評価されたけれども、世間からは認められなかった。
そして老年にはいって若いころからの友人ゾラと絶交してしまう。
大体芸術家というのは孤独なものらしく、そういう暗い心は作品に強く現れるものである。
しかし、セザンヌの場合はそういうことはないようだ。
街について書店にはいる。
僕はここのところ手帳を探している。新年になって買い替えの時期がくると書店などでは手帳の大売出しをやるのだが、僕はその売れ残りを狙っている。
もう1月の半ばからひと月以上各書店を見回っているが、あまりよいものはない。
去年、一切妥協せずにまったく自分好みの手帳を350円(半額)で手に入れた経験が、手帳選びを困難にしている。
手帳に厳しく、自分に厳しくした結果、僕はついに手帳を買うのをあきらめた。
去年の手帳にまだ白紙がたくさんあるし、カレンダー部分はまあなくてもよいから今年分くらいはなんとかなるだろう。手帳といってもたまに日記をつけたり、本についてのメモをするくらいなのだから。
もよりの街には数店の古書店がある。
僕はそのうちのひとつ、K書房に久しぶりで行ってみることにした。
K書店はさびれた飲屋街の一角にひっそりとある。
外には看板も出ているが、ないも同じだ。
昔ふうのガラス張りの引戸から中を覗くと、というか覗きこまなくとも、店の中に詰まった本の山が見える。本しか見えない。
引戸は二枚一組だけれども、ひとつしか使われていない。
その引戸一つ分の幅がちょうど通路の幅になっていて、あとはすべて本で埋まっている。
左も右も、とにかく本で埋まっている。
店の様子をみると、以前は店の中が三つの通路で区切られていたようだが、今は本で埋まって、真中の通路しか生きていない。
本棚の隙間から覗くと奥にも書棚があって本がたくさん入っているのがわかるが、這入れないから本の中を見れないどころか、近づくこともできない。
奥の空間はただでさえひっそりとした店のうち、一層の沈黙があるようで、まるで古い、遺跡か何かをみているような感じがする。
店に入るとずっと奥のほうに店番のじいさんが座って、古本を磨いている。
僕に気が付くと何も言わずに一度じろりとこちらをみて、それからまた本を磨きはじめた。
古本屋というのはどこもこういう具合だから、僕は気にせずに、とにかく左右の手が届く範囲の本を見渡してみる。
面白そうな本がいくつかあった。
小林秀雄の「藝術随想」というのが特に気になったが、値段がついていない。
他いくつかみたが、どれも値段がついていない。
この店は売る気がない。
小林秀雄といえば、この間、「無常といふ事」の角川文庫版をみつけた。
「無常といふ事」は筑摩書房の現代文学全集に収録されたものをもっているのだが、この角川文庫版の装丁があまりに綺麗だったため、持っているにかかわらず買ってしまった。
この本自体は昭和33年のものだが、初版は29年で、昭和29年に「いふ」なんていうのを堂々と出しているのはどうも小林秀雄の強い要望があったからみたいだ。
古い仮名遣いや書体を積極的に保持した作家は多かったけれど、今はもうすでに過去の遺物となりつつある。もうほとんどの世代が書けないし、読めないから出版社も旧表記のものを出版できない。
僕は旧仮名遣いで、というか歴史的仮名遣いでものが書けるし、旧漢字というものもほとんどすべて覚えているから、少なくとも僕が生きている限りは古い日本語も生き続けるだろうけれど、その後はどうだかわからない。
古書店をみていると旧表記のものなんてザラにあるけれど、こういう風に法律が改定されてからも古い言葉をまもっているものをみると、僕としてはなにか強く、暖かいものを感じるのだった。
最近まで生きた作家のなかでは、宇野千代もその一人だった。
少し隙間のあるところでぐるりと回って、爺さんに背をむける。
僕はそのまま這入ってきたときと同じようにもう一度並んでいる本を眺めながら店をでた。
さて日も暮れてきた。
鞄にいれて持ってきたいくつかの本を読もうと座る場所を探す。
僕は喫茶店にちょっと詳しいから、その近くで静かなよいところを知っていたけれど、なんとなく人がたくさんいるところもたまには面白いかもしれないと思って、例の天文学用語かとも思われる名前のカフェへ向かった。
ドリップコーヒーのショートサイズを店内召上りである。
席について、本を開く。
僕にとって孤独といえば、なんといってもトーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」だった。
トニオ・クレーゲルは文学や音楽を愛する繊細な青年で、それゆえに社会的な能力の欠如するところがある。
トーマス・マンと肩をならべるつもりなどもちろんないが、とにかく僕はトニオの気持ちがよくわかったものだった。
新潮文庫版にあわせて収録されている「ヴェニスに死す」もトニオ・クレーゲルと同じテーマを持っている。
ただ、それは”孤独”というより、幻想の世界である芸術と実際の生活がある現実との対立というものである。
”死と生”といいかえることもできる。
芸術は生きる希望を与えるものではないのか、と思われる人もいるかもしれないが、そういう人は”生”きる力が充分ある人だといえるかもしれない。
トニオ・クレーゲルの岩波文庫版の解説には、ゲーテが「ウェルテル」について、誰でもウェルテルが自分のことのように感じられるべきだ、と言ったことを引用して、トニオ・クレーゲルもそういう類のものだと書かれているが、あるべきかという問題は置いておくとしてトニオがウェルテルほど多く存在する、あるいはしうるとは思われない。
ウェルテルもある意味”孤独”だろうから、孤独というところで共通するところはあるかもしれないが。
もう一冊思いついたのが、ヘルマン・ヘッセの「ゲルトルート」である。
ヘッセのゲルトルートは日本では「春の嵐」とか「孤独な魂」とか訳されている。
ゲルトルートは「ウェルテル」におけるロッテで、「ウェルテル」におけるウェルテルはクーンという名前で、これが主人公である。
この小説も、トニオ・クレーゲルと似たような人物と関係をもっているが、「音楽」というものがより強く話の筋にかかわっている。
これもまたふつうの音楽好きが想像もしないような、音楽の一面について書いてあるものだが、これはちょっと難しい小説かもしれない。
※音楽や芸術についての考え方は『シューベルトの「楽に寄す」をドイツ語で味わう』で少し触れたことがある。
しばらく読んで一息ついたところで、急に女性に話しかけられた。
「すいません、人違いだったら悪いんですけど、もしかしてアノ君ですか?」
僕は驚いたけれど、首をたてに振った。
「やっぱり。ずっとあそこに座ってたんだけど、そうじゃないかなあと思ってた。」
一瞬誰なのかわからなかったが、声に聞き覚えがあるし、顔をみてはっきりした。
同窓の友人である。
もう何年も会っていなかったが、すぐにわかった。
「M?」と僕が聞くと、そうといった。
彼女は端麗で、気さくな人だった。人付き合いが苦手で無愛想な僕にいつも積極的に話しかけてくれたことを覚えている。
ただ話していると、当時の声のはりや雰囲気の明るさが、なんとなく曇ってしまっている気がした。寂しい目をしている。
彼女は僕が僕だということを確認するとすぐに、
「じゃあね」
といって去ってしまった。
人の多いところにいるとこういう”事故”が起こることを再確認して暗い黄昏の道を帰った。
その日の夜、別の友人と電話をした。
孤独について聞いてみたかったのである。
ずっと考えていると一体孤独がどういうものか、ますますわからなくなった。
僕は、トーマス・マンやヘルマン・ヘッセの孤独に強く共感するところがあるけれど、世の中にある孤独というのはもっと多様なかたちをしているかもしれない。
友人に聞いてみると、極めて個人的なことをいくつか答えくれた。
とても孤独が何かなどいうことに近づけるような答えではなかったけれど、少なくとも僕の知らない孤独があるということはわかった。
結局ここのところ暫く”孤独”について考えてみたけれど、なにか迷宮入りしてしまったようだ。思ったより難しい。
自分の孤独はほとんど自分にしかわからないからこそ、孤独なのかもしれない。
孤独について一通り話したあと、カフェでMと偶然会ったことを話した。
すると友人はこういった。
「Mちゃんね、学校を卒業したあとひとつ上の恋人を追って、〇〇県(遠い)で就職したらしいんだけど、その先輩っていうのが軽い男で、ふられちゃって戻ってきたんだって。」
Mはウェルテルだったのだ。