当ブログは移転しました。

きつねの音楽話

老人性古本症候群を患った若者の徘徊ブログ

ブログって大勢に読まれないと意味がないんじゃない?

あーどうも、きつねです。

 

最近やや機械的な記事が多かったですね。

今回はブログ書いていて思うことを少し書きます。

 

ブログの目的

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僕がブログを始めて、どの位でしょう一カ月半位ですかね、まあまだ初心者もいいところですが、僕はこのブログを始める前ネットの世界とは殆ど無縁のところにいました。

始めた理由は、色々とあるのですが、兄に勧められたことが大きかった。

 

兄は、くわしくは知りませんが、ネット関係の某超有名会社でデザイナーをやっているのですが、それでネット界隈のことにくわしく、色々と教えてもらいました。

僕と云えば、見るのは紙面ばかりで、楽譜をみるか、本をみるかの違いがあるか位で、たまに新聞を読んだり、絵をみたり、そのくらいの違いがあるだけで、外界との接触はあまりなかった。

というか今もこうして勝手にブログで記事を配信する以外はないんですけれど、とにかくこうして”現代社会”とかいう物騒なものにちょっと触れ始めた。

 

実は僕も情報関係の勉強をやや専門に勉強していたことがあって、プログラミングなんかもほんの少しかじったりしたのですが、まあかじっただけで飲み込むことはなかった。

チーズより紙が好きだった。

ねずみというよりヤギだった。

 

こんなくだらない話はいいんですけれど、

それで僕がブログをさあ始めようというとき、まあ何を書こうか、ということになりますよね?

何を書こうか考えて、単純に一番詳しい音楽のことを書くことにした。

 

これは前にも書きましたけれど、クラシックに関心のある人ってほんの一握りなんですよね。

音楽どころか”藝術”というものに関心のある人が非常にすくない。

 

僕の関心といえば

音楽、美術、文学、語学、哲学、園芸、書道、出版、食と健康

くらいで、それも流行とか、現代的なものはあまり関心がない

これブログを書く上ではそうですね、利点にはならないんじゃないでしょうか

 

例えば、「アリス」とか「ムーミン」はまだ世間的なところがあります。

”キャラクタ―がかわいい”から

ただこれが、トーマス・マンやらヘッセやらになったら誰が読むでしょう。

 

「絶対おすすめ!ソクラテスの弁明」読みますか?

僕はソクラテスの弁明は本当に読むべき本だと思いますけれど笑

いや、ほんの一部の人はこの題でも読むかもしれません。

 

実際、今までの風変わりな音楽話も読む人は読んでくれました。

 

ただ僕としてはそれではちょっと問題がある。

僕がブログを始めたのは別に共感が欲しいからじゃない。

何か趣味があって、その楽しさを誰かと共有したい、というのであれば、同じ趣味を持った一部の人に読んでもらって、交流できれば、それはそれで十分な意義を持つでしょう。

 

ですが、僕の場合は別に誰かに共感してほしいわけではありません。

僕は今まで書いてきて、いつも”多くの人に読んでもらう”ということを一応考えていました。今のところ成功しているとはいえません。

 

多くの人に読んでもらうためには多くの人が読みたいと思うような内容でなければいけない。こんなごく簡単なことが改めて感じられます。

たくさんの人に読んでもらうとすれば、その目線にたたなければならない。

これは僕にとっては難しいことです。

 

大体、多くの人と同じ価値感でいるためには、”哲学”なんてものは覗くべきじゃない。

言葉の世界に入り込んではいけない。

 

まあこういう世界に迷い込んでしまった以上仕方がない、バッハの肩越しに世界をみようか・・・

みなさん何がお好き?

僕はこのブログを始めてからそれまで気にしていなかったことを気にするようになりました。

 

一体世の中の人は何に関心があるのか知ら?

 

例えば書店にいっても店の前面に出ている売れ筋の本など見たことがなかったのですが、最近はどんなものが売れているのかみるようになった。

ある意味人生的な進歩といえるかもしれません笑

 

 

ですが、僕がこういう生活、流行に従わない生活をしていると、

”そんな狭い世界に閉じこもっていないで外にでなよ”

という類のことをいわれますが、それは大外れです。

 

僕は大世界を歩き回っている

これは間違いない。

 

シラーSchillerの言葉に

 

Eng ist die Welt, und das Gehirn ist weit.

世界は狭く、脳裡は廣い。

 

というものがあります。

意味がわかりますか。

 

そういうことをいう人が、電車で何駅の距離を楽しく移動している間に、

僕は唐代の中国で川が天に昇るのを眺めたり、ドイツの鬱蒼とした黒い森で妖精をみたり、古代ギリシャで偉大な哲学者が語るのを聴いたり、

デンマークの城で幽霊を見たり、江戸時代の美しかった東北を歩いていたりする。

またバッハの宇宙に浮かんで惑星の規則正しく動く姿を眺めたりする・・・・

 

 

まあそういう人にとってはこういうことはただの想像、空論なのでしょう。

 

・・・ブログではこういうことはいっていられないようです。

どうしたらたくさんの人に読んでもらえるか?

僕は足らない知恵を振り絞って、考えねばなりません。

 

どうすれば「ソクラテスの弁明」を多くの人に読ませることができるか

究極的にはこういうことでしょう。おそらく無理ですが。

ソクラテスの弁明を日本人全員が正しく読めば、国がひっくりかえるかもしれません笑

 

いや、興味がある人は読んでみるといいと思います。

2500年生き延びて来た著作ですからね。

西洋哲学の根源ですから。

 

 

まあそんな感じで、ちょっとめちゃくちゃな内容になった感がありますけれど、今回はこれで。

 

 

 おそらく一番多く読まれているのが岩波文庫の久保勉(まさる)訳。
青年を堕落さすという罪で召喚されたソクラテスが、法廷で自らの身の潔白を力づよく表明する「ソクラテスの弁明」と不当な死刑宣告を受けた後収用されている牢屋で旧友クリトンの脱獄のすすめを断り、国法に則って自ら死を選ぶソクラテスを描く「クリトン」のニ篇。