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きつねの音楽話

老人性古本症候群を患った若者の徘徊ブログ

僕の大人になってからの漢字勉強(+本と辞典)

小学校や中学校のころはよく漢字を勉強していました。みなさんもそうだと思います。

ところが高校生になると、難しい漢字や語彙を多少覚えるだけで「漢字勉強」なるものからは離れてしまった。

 

これには実は厄介な問題があります。

その問題がなにか説明するとそれがまた非常に厄介なので、ここには書きませんがとにかく問題がある。

 

この記事は、まあ万人の役に立つかは知れないですが、僕が最近になって(ようやく)始めた漢字の勉強について書きます。

 

 大人になっても漢字の勉強

 まずその問題の一部について少しだけ触れますが、日本には常用漢字というものがありまして、主に社会において通常使われる漢字が制限されています。

そしてその読みについても制限があります。

しかし、制定された当初に比べれば実際に即したあり方に近づいてはいるようですが、慣習的に使われるもので、常用外の使い方というのが山ほどあります。

 

学校で習う漢字というのは常用漢字のうちに収まってしまうので、高校卒業程度では、日常的に、読めない漢字に出くわすことになります。

みなさんも普段から「この漢字読めない」ということがありませんか。

常用漢字外の漢字を学ぶことの困難さについて

現在使われている漢字の多くは1950年代に制定された、いわゆる”新漢字”ですが、旧字体から新字体へ変えられた新漢字に対し、常用外のものは依然として旧い姿を保っています。

あ、”旧い”というのは常用外です。

つまり、

多くの漢字は偏と旁(つくり)、冠と脚のように部分と部分が組み合わされてつくられているのですが、常用漢字範囲内の知識ではすでに知っている漢字と旧い漢字のつながりが非常にみつけにくい。

例えば、

(くじ)

という漢字がありますが、この脚が”繊”の旁と同じだということは旧漢字を知らねばわかりません。

繊は昔、と書かれていました。

書かれていたというと語弊があるのですが、とにかくこれが正式な字だったわけです。

抽籤(チュウセン)や当籤(トウセン)という音をみても音符(漢字の音を決める部分)が共通なのがわかります。

旧字体を学ぶ

というので、僕としてはまず常用漢字において新字体が採用されている漢字の旧字体を覚えてしまうというのが、漢字の世界への第一歩ではないかと思うのです。

これには僕の実体験があります。

もう3年ほど前になりましょうか、僕が”古い”、あるいは”旧い”、まあ両方ですが、書物を読もうとしたとき、まず問題になったのが、漢字が読めないということでした。

例えば漱石の「坊つちやん」を引用してみますと、

學校は昨日車で乘りつけたから、大槪の見當は分つて居る

 とか

此辭令は東京へ歸るとき丸めて海の中へ抛り込んで仕舞つた

 とか、常用漢字の知識では読めない部分が無数にあります。

だから今出版されているものは改版されて、新漢字(と現代仮名遣い)でかかれているわけです。

参考にこれを現代風に直しますと、

学校は昨日車で乗りつけたから、大概の見当は分かって居る

 この辞令は東京へ帰えるとき丸めて海の中へほうりこんで仕舞った

 のようになりましょう。

 

僕が旧漢字を覚えたのはそのように、(坊ちゃんではなかったのですが)本を読もうとして読めなかったときでした。

どう覚えたのか。これがちょっと無理矢理の力技で、参考にならないかもしれないのですが、辞書を片っ端からみて旧漢字のある常用漢字をすべて調べて書き出し、読み書きを覚えました。

僕は勉学に電子機器を使わないので紙辞書で勉強しましたが、インターネットで調べれば旧漢字の一覧表などはすぐにでてくるでしょう。

 

ところで旧漢字はどのくらいあるのかというと・・・これがいくつあったのか定かではありませんが、数百というところでしょう。

一つ覚えれば芋づる式に覚えられる字もあるので、実際に覚えるのはそこまで多くありません。

僕はせねばならぬ他の勉強をそっちのけで漢字ばかり見て、一・二週間で皆覚えました。

ここ最近の漢字勉強

日本語の漢字というのは、英語におけるフランス語のようなものですから、高級な言葉を身につけるにはどうしても必須です。

これに関しては明治以来様々な議論が交わされてきたようですが、新漢字あるいは現代かなづかいの制定によっておこった日本人と日本語の変化によっておよそ結果の見えたものと思われます。

つまり日本人にとって漢字は必要なものです。

現代人からみて明らかに言語能力の高かった明治頃の文人達をみると、漢文の素養が底にあることは間違いないように思われます。

 

というのでこのところ僕は漢詩を読んでいるのですが、漢文の勉強というのはもちろん読み方、あるいは詩を味わうことも含まれますが、即ち漢字の勉強になります。

やりかたはこの記事に書いたのと変らず極あたりまえのものですが、一応お見せしましょう。

fuchssama.hatenablog.com

 

1, 漢詩を読む

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読みながら知らない漢字、気になる漢字を書き出していきます。

 

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こんな具合に

2, 辞書を引く

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辞書を引いて本文に相当する意味を調べ書き出します。

 

上に載せた記事でも紹介しましたが、僕のおすすめは小学館の漢語例解辞典です。

 

僕はこれを主に使っていました。使いやすいです。

他に有名なのだと漢語林ももっていますが、まあ自分の好きなのを使えばいいんじゃないでしょうか。

 

現代漢語例解辞典をずっと使っていましたが、少し前に簡野道明の「字源」が手に入りまして(画像中の辞典)今はそれを使っています。

この辞典はすべて旧表記、また文語も使われているので、慣れない人には難しいでしょうが、僕にとっては最高の辞典です。

 

 

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調べました。

ただ音と意味をちょっと見るだけでなく、同じ意で使われている熟語や他の意味をみたりすると、漢字の難しさが身に沁みて勉強になります笑

 

あと部首なんかもついでにみておくといいですね。

上の画像にも”シンニョウ(チャク)”について書いてありますが、意外と知らないことがあります。

例えば、終(冬)と夏には共通の部分があるように見えますが、実は別の字です。

あとがき

知的世界を謳歌するには漢字、漢文の素養がどうも必要なようです。

fuchssama.hatenablog.com

 この記事で紹介した漱石の「草枕」なんかも相当の教養がないと100%楽しめないでしょう。(というわけで一生楽しめそうです)

 

漢文のテキストについては今出版されているものについてはあまり知らないのですが、この記事でひとつ紹介しました。

fuchssama.hatenablog.com

 

語彙力とは即ち思考力でしょうから、人生中でくわす様々な事件を如何に面白く見るかということも、一部漢字力に関わってくるわけです。

やはり日本人として生きるにはもう少し漢字を学びたいところですね。