【人気曲】フランス・その他の交響曲と名盤まとめ
2016年12月21日投稿 2017年1月28日更新
先日『クラシック初心者がまず聴きたい、おすすめの交響曲&名盤まとめ 』という記事を書きました。
この記事ではクラシックを聴き始めた人が交響曲を聴こうと思ったときの参考におすすめの交響曲作曲家とその曲を書いたわけですが、規模が思っていたより大きくなって書き残したことがいくつかありました。
今回はそのうちの一つです。
フランス他の人気のある交響曲
前回の記事ではドイツ・オーストリア系を中心に交響曲の主流というべき作曲家を紹介しました。
しかし、前回紹介できなかったものにもよく演奏され人気のあるものがたくさんありますから、今回はそれらを紹介します。
ロマン派
ベートーヴェン以後交響曲は、例えば交響的〇〇というような、様々な形態をうみだしました。
これから紹介する交響曲も、交響曲という名前はついていますが、前回の記事で説明したような”典型的な交響曲の形”をしていないものがたくさんあります。また、多くは標題をもっています。
ベルリオーズ(1803-1869)
フランスの作曲家
「幻想交響曲」がとにかく有名で人気
この曲や「交響曲《イタリアのハロルド》」で標題音楽を確立して、リスト等に影響を与えました。
その他に劇的交響曲《ロメオとジュリエット》等
幻想交響曲
劇団のヒロイン、スミスソンへの恋をもとに書かれた曲。
標題に「病的な感受性と類まれな想像力をもつ芸術家が、恋の悩みにより阿片を服用して自殺しようとするが死なず、一連の奇怪な幻想をみる。」とあります。
音楽の特徴は当時ありえないほどの規模(ファゴット四本、ティンパニ四人)や固定楽想で全体の統一を図ったこと。
相手の女性がひとつの旋律として各楽章に現れます。
各楽章には標題があり、順に「夢・情熱」「舞踏会」「野の風景」「断頭台への行進」「魔女の夜の宴の夢」とつけられています。
※固定楽想 イデー・フィクス(idée fixe 仏):、特定のものを象徴する(固定の)楽想で、各楽章に様々に変容しつつ現れる。ベルリオーズが「幻想交響曲」に用いたのがはじめで、リストやR.シュトラウスにも同様の手法がみられる。
※iTunesは▶で試聴できます。
フランク(1822-1890)
ベルギーの作曲家
生前ほとんど評価されずに、死の直前に発表された弦楽四重奏がようやく成功したがその後まもなくなくなってしまったという少し不幸な作曲家です。
多数のオルガン曲、ピアノと管弦楽のための《交響変奏曲》、ヴァイオリン・ソナタ、そして交響曲が有名です。
フランクの交響曲はたった一曲しかありませんが、その一曲が重大な一曲で多くの指揮者が録音しています。
交響曲二短調
遅咲きのフランクが晩年に満を持して創り上げた作品。これもまた当時は評価されませんでしたが、今は高く評価されています。
フランクの音楽の特徴はなんといっても「循環形式」で、この交響曲も冒頭低弦が提示する中心主題が全曲にわたって登場します。またブルックナー同様オルガニスト独特の重厚さがあります。
全三楽章
※循環形式(cyclic form 英):多楽章楽曲において、全楽章を同一の主題、動機で統一的に作曲する形式。
ボロディン(1833-1887)
ボロディンはロシアの代表的な作曲家のひとり
ロシア国民楽派の「五人組」の一人で、オペラ「イーゴリ公」などが有名です。
交響曲は三曲(第三番は不完全)ありますが、第二番がよく演奏されます。
交響曲第2番ロ短調
ボロディンの作品はロシアや東洋的な要素の強いものです。
この曲は「イーゴリ公」の草稿から多く素材をとっていますから、一応標題的といえるでしょう。第四楽章は「だったん人の踊り」に通ずる響きがあります。
サン=サーンス(1835-1921)
フランスの作曲家
サン=サーンスもまたオルガン奏者です。
フランス音楽振興のために尽力した人で、作風はドイツ音楽とフランス音楽の折衷的なもの。
交響曲第3番ハ短調「オルガン付き」
サン=サーンスの交響曲は番号付きのものが3曲、番号のないものが2曲あって、断片のみが伝わる曲も含めると、七曲の交響曲を書きましたが、第三番の「オルガン付き」がもっともよく演奏されるものです。
名前の通り、オルガンがオーケストラに加わっているもので(ピアノも登場します)、第二楽章の第二部などオルガンの華やかさが目立ちますが、もちろん内面的な魅力もあるものです。
(各二部構成の)全二楽章
名盤
マリー=クレール・アランのオルガンってのが贅沢です◇マルティノン/サン=サーンス:交響曲第3番(Amazon)
R.シュトラウス(1864-1949)
ドイツの作曲家
長生きした作曲家で、20世紀半ばまで活躍しました。ロマン派最後の大巨匠です。
主要な作品はオペラや交響詩で、 現代まで生きた作曲家の作品ではもっともよく演奏されるものでしょう。また指揮者としても後世に多大な影響を残しました。
※交響詩(symphonic poem 英):管弦楽によって詩的あるいは絵画的な内容を表そうとする標題音楽の一種。これはシューマンの詩的で自由なピアノ作品と、ベルリオーズの標題交響曲、またメンデルスゾーンやベートーヴェンの演奏会用序曲の方法から、リストが創り上げたもの。R.シュトラウスはこれを音詩(Tondichtung 独)と名付けて、絵画的要素の他に抽象性をもたせ、発展させた。
交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」は映画音楽に使われて日本でも有名。
アルプス交響曲
シュトラウスが交響曲と名付けたものは全部で四つありますが、「家庭交響曲」とこの「アルプス交響曲」の二つが有名です。
「アルプス交響曲」はアルプス登山の場景、登り始めの日の出から下山までを音楽で表しています。風景だけでなく、登山者の心理まで描いているようですが、シュトラウス自身山が好きだったようです。
二十二の部分からなる単一楽章
ラフマニノフ(1873-1943)
ロシアの作曲家
ラフマニノフはピアノの名手で、作品もピアノが主です。
日本でもピアノ協奏曲第二番が特に人気のある曲です。
交響曲第二番ホ短調
ラフマニノフには交響曲が三曲ありますが、そのうちもっともよく演奏され人気のあるのがこの第二番です。
当時第一番の初演が失敗してラフマニノフが精神を病んだという話は有名ですが、それから立ち直ってピアノ協奏曲第二番をかき、大成功を収めます。この曲はその後かかれました。
ラフマニノフの音楽はチャイコフスキーの作風を受継ぐ、抒情的でセンチメンタルなものです。
名盤
三楽章が特に有名◇プレヴィン/ラフマニノフ:交響曲第2番(Amazon)
近現代
ラフマニノフやR.シュトラウスも時代的にはこちらにいれてもよさそうですが、普通ロマン派のくくりに入っています。作風からそうしているということでしょう。
最後に一曲近代的な作風の交響曲を紹介します。
メシアン(1908-1992)
フランスの作曲家
1992年まで生きていたというのだから全く現代の人ですね。
作風もこれまでにあげた作曲家とは大いに違い、いわゆる現代音楽に属するものです。
ここに書くのをはばかられるような実験的技法を数多く生み出しています。
トゥーランガリラ交響曲
この曲は全十楽章からなる曲で、インドや東南アジアの音楽が取り入れられています。
トゥーランガリラはサンスクリット語で「愛の歌」を意味し、ヒンドゥー教との関連が暗示されています。
オンド・マルトノという電気楽器が使われているのが特徴ですが、形としてはピアノ協奏曲といえます。現代音楽の傑作。
交響曲の聴き方の提案(つまみ聴きのすすめ)
これ以降に書くことは交響曲、というかクラシックを聴き始めたばかりの初心者へ向けてという体で書きますが、ただひとつ聴き方を提案するというだけですから軽い気持ちできいてください。
クラシックをいざ聴こうとするとどうしても、意識しなくても、どこか身構えてしまうところがあると思います。
わざわざクラシックを聴こうなどという人は、およそクラシックに対して”何か普通じゃない”という考えを持っている人でしょう。
クラシック音楽を聴くのにはマナーがあって、それらを厳格に守った時なにか貴重な音楽体験をしうるのだ、とかなんとか、まあどう思っているのか知れませんが、とにかく相手も普通じゃなければ、自分もそれに合わせて異常になる。
僕もまた当初クラシック音楽にはそういう何か知れないものを感じたり、大きな期待を持っていたわけです・・・その初めにうけたそういう”感じ”というのは今でも変わらずその通りであったと、別に間違いではなかったと思っています・・・が、
ただ、かしこまってひたすらじっとスピーカーの前に一時間座りっぱなしというのは、究極の形であって、僕はその究極の形を最初から真似してやってはいましたが、あまり意味のないことです。
全く意味が無いことはないですが、効率がよくありません。(そういうがむしゃらさが必要な場面もあるかもしれませんが)
特に交響曲なんかは長いですから、いきなり全部きいてもよくわからないでしょう。
やみくもに全曲通して聴いても曲が面白くなるには時間がかかります。
面白くもない曲を一時間も聴き続けるのはつらいことですし、ちょっと馬鹿々々しいことでもあります。
そこで、もっとやくざな聴き方をおすすめするわけです。
全部聴かないという方法があります。
例えば第一楽章だけ聴いてみる。
もしくは、これは僕の肌に合わない聴き方ですが、いきなり終楽章を聴いてみる。
とにかく曲の一部をとりだして聴いてみるわけです。
もう少し詳しくいうと、全体ではなく、曲の一部分に注目してみる、というのです。
第一楽章を聴くのでも、とりあえず主題に注目してみるとかして、なにか印象的な部分を探ります。
こういう目的で解説書などを使うと効果があるでしょう。
解説で、この部分が美しい、と書いてあったら、とりあえずその部分を聴いてみます。
全体を聴いていて、うんともすんとも言わなかった曲が、一部分に注目した途端、急に雄弁になるということがよくあります。
ひとつ好きな部分ができると、その部分は楽しく聴けますし、その周りも面白くなってきます。
もちろん聴き方は自由ですから、自分なりの面白い聴き方を探っていくのが一番です。
僕がよくやるのは、というか勝手にそう仕向けられているといった方がいいのですが、当の音楽以外のところで話題になったもの、つまり話にでてきたとか、本で読んだとか、そういうものをとりあげるという方法です。
そして、その注目している曲や部分を集中的に聴きます。
外部で注目すると、なぜか音楽の内部が面白くなる・・・
そんな風にして、曲全体が面白くなったら、そこで全部通して聴いてみるとよいでしょう。そうすればそれまでぼやけていたものがよく見えると思います。
つまんで聴くのをおすすめするとはいっても、やはり”連続している”というのは音楽にとって重要なことです。
チャイコフスキーの悲愴は”あれ”が第四楽章にあるからこその意味を持っているし、循環形式等で全体の統一が図られているものもあります。
最終的にはかしこまって、真面目ぶって、何か重大事かのように音楽に正面から向き合う、というと最初に逆戻りですが、本来はそこが目的地なのではないでしょうか。
悲愴のあれ
あとがき
今回は前回の作曲家たちに比べると作品のうちで交響曲が主要なものではないけれども、重要で人気のある作曲家の曲という様になりました。
みるとやはり標題的なものが多く、どちらもベートーヴェンのあとをついだということに変わりはないのでしょうが、絶対音楽をつくったシューマン・ブラームス派と別の行き方があったということがわかります。
この記事がどのくらい的を得ているのかちょっとわかりませんが、とにかく今回はこのへんにして、書き残したことはまた次回にまわしましょう。