きつねの音楽話

老人性古本症候群を患った若者の徘徊ブログ

上達のための心構え。どうすれば楽器は巧くなるか?

 前回の記事↓を書いていて思い出したことがあるので書いてみます。

fuchssama.hatenablog.com

 

 

楽器練習の目的と上達

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まあ結局前回書いたことと大して変わらないのですが、小話としてきいてください。

ショパン命?

これは僕の和声の先生からきいた話なのですが、その先生のもとにピアノを習いにきた人でこういう人がいたらしいのです。

 

私はショパンのある曲が好きで好きでたまらない。どうしてもそれを弾きたい。

 

というので先生はその人にピアノを教えることになったのですが、ちょっと困ったことになった。というのもその人は

 

私はショパンの〇〇が弾きたい。それだけ弾ければいい。他の曲は弾きたくない。

 

と言うらしいのです。指の訓練も音階練習も練習曲もバッハもモーツァルトもベートーベンもその他も一切とばしてショパンだけ。それもショパンのある一曲だけを弾きたいというらしい。

何が弾きたいか

僕は読んでくれている人ならご存知の通り、バッハとモーツァルトを特に好んでいるので、演奏もその二人の曲を好んでします。

 

僕のピアノの先生は、僕が純クラシック音楽的発想をもっているというのもあると思うのですが、割と自由に取組む曲を決めさせてくれました。

ただ、僕がバッハとモーツァルトが弾ければそれで十分満足だと言った時、こう言われたことがありました。

 

それならば他の作曲家の曲も弾かなければなりません

 

ある特定の作曲家の曲が弾きたいのに、別の作曲家の曲を弾かなければならないとは一見妙に思えますが、それには尤もな理由があります。

まあ一種の井の中の蛙になってしまうわけです。

ある曲を弾くためにはそれをつくった作曲家のことを知らねばなりません。そしてその作曲家のことを知るためにはその作曲家と同じ時代の作曲家を知らねばならず、また他の時代の作曲家も知らねばならず~と歴史の及ぶ限り知らねばならぬ領域が広がっていく。

つまり客観性を持たねばなりません。

 

また楽器の演奏はあらゆるテクニックを十分に熟させておく必要があります。

一人の作曲家の曲にはどうしても特有のものがあって、テクニックもまた特有ですから、それだけやっていると、ある箇所が必ず綱渡り状態になる。

テクニックのことは楽器をやっていない人には関係がないですからこれ以上はやめておきます。

曲と熟練度

またこういうこともありました。

僕がある曲集を弾き終った(練習し終った)ときに、うまく弾けない曲がいくつかあって、

次に進む前に全体の熟練度をあげた方がよいか

ときいたことがありました。

そうすると先生は

 

どんなに練習しても”完成する”などということはないのだから、引き返して練習するより、先に進んだほうがよい。先に進めば、そのうちに弾けるようになる。

 

と仰いました。

これは上に書いたテクニックのこととも関係がありますが、語学とも繋がることだと思われます。

 

僕が難しい英語の文章を大量にこなした後、普通の英語が簡単に感じるようになり、”文章に感じる難しさ”についてドイツ語の先生に話した時先生は

 

ある緩い斜面をスキーで滑るとき、それだけでは明確に思うところはないが、それより急な斜面を滑ったあとだと、その”緩やかさ”がはっきりとする。そんなことがありますね。

 

と仰っていました。

これもまた楽器の練習と繋がる所があるように思えます。

ショパンだけ弾いてショパンが弾けるか

また最初に書いたことに戻りますが、

その話を聞いた時すでに先生と僕の間では、それではその曲は弾けるようにならないだろう、という結論をはやくも出していました。

楽器をやっている方ならわかることかと思います。

 

結局”何をもって弾けるとするか”と云う問題になってくるわけです。

その人にこの話をすればこういうかもしれません。

どんなに下手でも、どんなに遅くても、弾ければよい

 

しかし、テンポの極端に遅く、へたくそなショパンはもうショパンじゃない・・・

 

僕の通っている図書館の掲示板に、歌を楽しむサークルのビラがあったのですが、

どんなにヘタでも自分が楽しければそれでいい!

とドーンと書いてありました。なんて自分勝手なんでしょう笑

 

いや確かに、音楽は大人から始めるとなかなか上達が難しいものです。

練習しても練習してもうまくならない・・・語学もそうかもしれません。

でも、どんなにヘタでも、それでも上達したい!という方がどんなに建設的ですばらしいか。

実態が同じでも心構えが違えば、何かは変わってくるものだと思います。

自分がよければそれでいいと思っている人は滞り、淀み、いつまでたってもアオフ・ヘーベンされないのです。

ポリーニの話

 ポリーニといえばもはや存命中にも関わらず、伝説的なひとで、このブログでも何回か登場していますが、

1960年18才でショパンコンクール審査員全員一致の優勝、あのルービンシュタインをして「今ここにいる審査員の内に、彼より巧く弾けるものがいるだろうか」といわしめた怪物ですが、その優勝後さらに10年近く研鑽を重ねたといいます。

国際コンクールで優勝するほどの、しかもルービンシュタインにそんなことまでいわせる腕を持っているにもかかわらず、さらに勉強をする・・・

見習うべきはこういう人の姿勢でしょう。

 

 

シラーの言葉にこういうものがあります。

 

Wer etwas Großes leisten will,

muß tief eindringen, scharf unterscheiden,

vielseitig verbinden, und standhaft beharren.

 

大望を遂げんとする者は、

徹するに深く、辯ずるに鋭く、

獵るに廣く、持するに剛なるを要す。

(關口存男譯)

 

 

 

 

僕も大望を遂げたいので、深く徹して、鋭く辯じて、廣く獵って、剛に持して、現状に満足せずさらなる研鑽を重ねたい、という話。